郡上にその年の初雪が降った日の朝。
キャンプ道具と少しの着替えを折畳式カヌーに詰め込み、おぼつかない手つきでパドルを操りながら
上流部最難関の激流に挑む大学生が1人。
カヌーメーカーが主催する体験教室で乗ったっことはあるものの、実際に激しい流れを下るのは始めて。
川の情報はほとんど無し、そこが難度の高い瀬である事すら知らなかった青年の艇は簡単に長良川の
浮遊物となった。
ひっくり返った艇を泳いで引っ張り、中にたまった水を出して再挑戦。わずか1キロほどの間に
これを3回繰り返した青年はそこで初めて自分のやろうとしていることが無謀だったことに気づく。
ウエットスーツを買う金が無く、服装は普段着の上にカッパのみ。ゴミ袋に押し込んだだけの
キャンプ道具と着替えは全て水浸し。あまりの寒さに泳ぐことさえできなくなった時点で身の危険を
感じカヌー行は断念。 ふと見上げた国道に見えたコンビニでダンボールをもらって河原で火を付け
少しの暖を取り、少しだけましな服に着替えた青年はそこがどこなのか、どれくらい流れてきたの
かもわからないまま、国道で親指を立てる。
「どこまで行くん?」
30分ほどして泊まった1台の車からはなぜか関西弁。事情を説明すると「とりあえず俺の店行こ」 と連れて行かれたのが近くにあった1件のアウトドアショップ。同じく関西出身でその店の雇われ 店長であった彼と話すうち、カヌーと釣りと野田知佑の話題で意気投合し、その夜は店長の知り合い の家で泊めて貰う事に。何も買わないのに訪れる常連達がみな口々に、「ここはいいとこだぞ」と 地元を自慢する姿に驚き、羨ましく思った青年。どんどんとこの土地が持つ自然と人の魅力に引き 込まれていった。
「もしよかったら、手伝ってみんか?」
店長から1本の電話があったのは卒業も間近に迫った2月。2,3年はお金を貯めながら海外でも
放浪し、その後教員採用試験を受けようと考えていた青年だったが、、その誘いは驚きであり、
同時に魅力的でもあった。
「少し考えさせてください。」そう返事したものの、青年の心は決まっていた。
モンベルのムーンライトテントさえ立てられず、カヌーのスプレーっスカートの使い方さえ 知らなかった青年は郡上でサクラが咲くころには、不似合いなエプロンを付けたアウトドアショップの 店員になっていた。
大阪の大学を卒業し、郡上の住人となり、山の中で初めての社会人生活を向かえた青年。
町に育った青年にとって郡上での毎日は喜びに満ちたものだった。
夜明けと同時にバイクにまたがり川へ。エンジンで手を温めたら釣竿をもってアマゴを狙う。 8時前に釣りを終えて河原で朝ごはん。再びバイクにまたがってアウトドアショップに出勤。 店内を一通り掃除すると特にやることもなくなるので、今度はカヌーを担いで目の前の川へ。 教えてくれる人がいなかったので本を見ながらエスキモーロールや基礎的なテクニックの練習。 終わると店に戻って昼食。昼からは時折顔を出すお客の相手をしながらフライロッドを振る練習。 たまに山に詳しいオジイと一緒に山を歩いたり、店長と一緒にダウンリバーしたり。土日になると お客さんと一緒に様々な場所でキャンプやラフティングツアー。TVや雑誌の取材も来る、田舎なのに 都会にいた頃よりも外国人の友人が増える。青年にとっては至福の日々だった。
当然ながら、そんな時間は長くは続かない。青年だってもちろんわかっていた。勤めていた アウトドアショップが商売として成り立っていないことを。

「もう、俺の貯金が底をつきそうなんや」店長がそう切り出したのはその年の秋。 細々とアウトドア商品を売ったり、土日に細かいツアーをしているだけでは店長とその奥さん、 そして青年の3人が食べていけるはずもなかった。莫大な借金を抱えていたショップのオーナー からの運転資金はとっくに止まっており、店長が自分たち夫婦の貯金を切り崩しながら青年の 人件費までを捻出していた。店をのぞきにくるだけの常連さんに少しでもお金を落としてもらおうと、 コーヒーや軽食を出したり、その頃郡上にはなかったバーを作ろうと店内を改装してカクテルの 作り方を覚えたりと様々なことに取り組んではいたが、一向に集客できる気配はなかった。
「ショップはやめて、ツアー1本でやっていこうや」切り出したのは青年だった。夏から始めていた ラフティングツアーが徐々に集客を増やしていたことに手ごたえを感じていた青年は無謀にもツアー だけで会社を起こすことを提案、同じく将来に不安を抱えていた店長は青年の意見に同調した。
アウトドアショップをたたむことをオーナーに告げ、翌年の春オープンに向けて青年と店長は
新しい会社の準備に取り掛かる。初めて働いた場所が1年でつぶれることになったのに、青年に戸惑いは
なかった。
「会社の名前はEARTHSHIP,EARTHは地球でSHIPはみんなで操る船という意味と、スポーツマンシップ
とかの~精神という意味をかけてんねん。」 もっとアウトドアらしいほうが・・・という店長を
押し切って会社名を決め、大きな倉庫の一角と、常にぼっとん便所からの匂いが絶えない事務所を借りた。
青年が冬場にバイトをしていたスキー場で知り合った若者が新たな乗組員として名乗りを上げた。
青年が郡上に来て2回目の桜が咲く頃、小さな地球船は動き出した。

それから約10年。小さな船は大小の波にもまれながら少しづつ大きくなった。店長は子供専門の野外教育 を行う会社へと籍を移した。多くの乗組員が出入りし、去るものも、残るものもいた。でも、気づけば 20人を超える乗組員が常に活躍するようになった。青年はいつしか青年ではなくなり、乗組員をまとめる 船長となっていた。
船はまだまだ不安定。しかし、楽しくて、頼もしい船員たちが航海を支える。行き先は・・・ 今はまだ、決めないほうがいいのかもしれない。
*この話はノンフィクションです(笑)。
アースシップが誕生するまでの経緯を書いてみました。思い起こせばずいぶんといろんなことがありました。もちろん、 文章中には書けないこともかなりありました(笑)。でも今となってはいい思い出ですし、いろんなことがあったからこそ、 今があるということ、実感できます。そして本当に多くの人と長良川に支えてもらってここまでやってこれたということも。 これから先、どんな航海になるのか、どんな荒波が待っているのか、今は楽しみ8割、不安2割といった感じです。 荒波から決して逃げることの無い、強い組織であるとともに、いつまでも馬鹿笑いできる仲間でいたいとも思っています。 そして、自分達を支えてくれた多くの人と長良川にいつの日か恩返しができるよう、頑張って、前に進んでいきます。 アースシップ代表 水口晶